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婆ちゃんがくれた休日 [つぶやき]

暦では大寒だったにもかかわらず、4月並のポカポカ陽気だった20日、婆ちゃんが永の眠りに就きました。

前回の記事でオーママが、「いつまで持ちこたえられるか不安だぁ~」なんてぼやいたものだから、「それじゃ解放してあげるよ!」といわんばかりに、あっさり逝ってしまいました。

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亡くなる前日、いつものように犬たちの散歩&収納を済ませてから病院に向かった。ただ、この日は、婆ちゃんの義姉にあたる叔母が見舞いたいというので、途中でピックアップして4時前に病室に入った。

が、先に来ていた弟によると、「呼びかけにほとんど応えず眠っている」とのことで、叔母が名前を呼んでも、無反応。

けれど、この日の朝食は完食、昼も3分の2は食べたそうだ。ずっと眠っているのに、「ご飯だよ!」って呼びかけると、その時は、ニコッと笑って目を開け、起き上がろうとしたとか。食いしん坊の婆ちゃんらしい。

ところが、昼食後は限りなく昏睡に近い状態になり、医師から「できれば今晩は泊まってください」と言われたのだった。

叔母は、1時間ほど枕元で様子を見守り、時々呼びかけていたものの、時折呼吸を乱すことはあっても、分かっているのかいないのか・・・そこで、帰り際、「また来るからね!」って少し大きい声で話しかけたら、一瞬目を開けて、不明瞭ながらも「はい」と答えた。

そこでオーママも、「叔母ちゃん送って、オードリーたちのご飯食べさせたらまた来るからね!」って言うと、また、「はい、はい」と返事をした。

弟に後を頼み、ママは、叔母を送り方々、留守番させているオーギュスの夕飯&トイレのためひとまず家に帰り、今度は犬たちを連れて再び病院に戻るつもりで病院を後にした。

帰宅後、犬の世話をして、泊まる仕度を整え、出かけるばかりとなったところへ弟から連絡が入り、「昼間より呼吸が楽な感じになって、静かに眠っているから、とりあえず今晩は自宅待機して」とのこと。

電話を枕元に置いて、寝たような・・・寝なかったような・・・そろそろ朝を迎えようという5時50分くらいに電話のベルが鳴った。弟だった。

「夜中から、まるでマラソンしているようにハァハァしだしたので酸素吸入してたんだけど、さっき突然息遣いが苦しそうになって、今酸素を10リットルにした。もう増やせない。これからだと間に合うかどうか・・・ちょっと厳しいかもしれないけど、よろしく!」といって電話が切れた。

起き抜けの硬直が和らいだとはいえ、手指関節だけは相変わらずのため、1時間くらいはハンドルを握るのもきついママ、やっぱり前夜行っておくんだったと後悔するも、先にたたず。

でもここは頑張るしかないでしょ。準備は前の晩にしてあったので、犬たちを連れて(後の展開が読めなかったから留守番させるわけに行かなくて...)、なんとか30分足らずで出発。普段だったら絶対停まる黄信号をすり抜け、7時過ぎに病院着。

日陰になりそうなスペースを選んで車を停め、病室に駆けつけると、弟と看護師さんがベッド・サイドに付き添っていて、同時に「あ~間に合った!」とママを招き入れた。

サチュレーションがとんでもなく低下していて、酸素濃度を上限まであげてかろうじて呼吸している状態らしく、すごく苦しそうな息遣いだが、それでもママはまだ意識があるように思えて、「来たよ!」っと耳元で呼びかけたら、一瞬右の瞼がピクっと動いた。

そして、それを境に、それまでの苦しそうな息遣いが嘘のように鎮まり、眠っているかのような規則的で静かな呼吸になった。

臨終の際、よく、身内が到着するのを待っていたんだよねっていうけれど、まさにこういうことなのかもと思った。

次第に状態が本当に安定してしまい、「これは一山超えたかな」なんていう感じになって来て、看護師さんはいったん退室、弟も仮眠室で休憩してくると出て行き、ママだけで付き添っていると・・・

間もなく、時々呼吸が停止するようになってきた。

徐々に呼吸の止まっている時間が長くなっていった。

そして、ついに30秒以上無呼吸の状態が続いた。

ナースコールで看護師さんを呼び、弟に知らせるため仮眠室に向った。

戻ると、看護師さんが「だいぶ無呼吸の時間が長くなって来ていますね、先ほどは1分以上続きました」といって主治医を呼んできた。

呼吸は頻繁に途絶えるものの、前日からの苦しそうな息遣いが襲うことはなく、本当に静かだった。

8時24分、ついに呼吸は永久に停止した。

「婆ちゃん、意に反した(?)治療、長いことお疲れさま。ゆっくり休んで!」と心の中で呟いた。

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朝家を出るときから断続的に連絡をとっていたオーパパに電話をすると、出社せずに東京に向っているとのことで、昼前には到着するとのことだった。

バカ暖かい陽気となり、ギュスターヴを日がな車待機させるのは厳しいので、訓練所に預かってもらう手筈を整えようとしているところだったが、パパが来てくれれば適宜連れ出すこともできるし、ヤレヤレだ。

婆ちゃんが最後の時間を過ごしたホスピスは、通常の病棟と違って、最後の最後まで血圧やら脈拍やらをモニターする機器などはいっさい繋がず、看護師さんが見回りの範囲で見守るということだったので、限りなく普通の家庭と同じような環境で最期を迎えることができたと思う。

息を引き取った後も家族のペースで事を運んで構わないということで、婆ちゃんが霊安室に連れて行かれることもなかった。

パパが到着し、協議の結果、葬儀はせずに(オーママの家系のポリシーでして...)親族だけで“お別れ会”をして送ることになったのだけれど、なんと、市の斎場が満杯で、通常なら婆ちゃん家のエリアがお世話になる北部の斎場は26日まで待たされるというではないの!

それで異例の事ながら、南部斎場で送ることになったものの、こちらも24日の午後まで空きがないそうな・・・なんということだ!

身内のみといっても自宅に集まるのは難しく、結局会堂でお別れすることにしたため、特に忙しいこともなく、会堂に安置されている婆ちゃんに会いに行く他は普段どおりの3日が過ぎた。

しかもパパがいるからオーギュスの散歩は別々に行けて、ギュスはママが担当してみっちりオビ練もできた。婆ちゃんが、「ギュスに割ける時間が欲しい」っていうママの願いを叶えてくれたようなものか??

おまけに、ママ、久しぶりで美容院まで行っちゃって・・・

パパと二人、「婆ちゃんから思わぬ休日をもらっちゃったね~」なんて暢気な会話をしながら時間を過ごしたのだった。

そして昨日、婆ちゃんに最後のお別れをして、今日、パパは京都に戻っていき、明日からは、たぶんいつもどおりの日常が戻ってくる。なんたって犬のお世話があるのだもの。

[ぴかぴか(新しい)] 婆ちゃん、どうぞ安らかに眠ってね! [ぴかぴか(新しい)]



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