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最後の日々 [病気]

今日はギュスターヴの三七日です。

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まだまだ区切りをつけようとは思わないけれど、ギュスと共に過ごした最後の時間について書き記す事で、ちゃんと送ってやれるのではないかと考えて、ブログにアップすることにしました。

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10月26日の記事の後から時系列に記憶を辿ろうと思います。

26日の時点では、食欲はかなり落ちていたものの、まだ鶏レバーのジャーキーやお薬ゼリーを口にしていました。

そして、脇から胸にかけての巨大シコリが消滅した後お腹に溜まっていた(と思われる)水分も徐々に吸収されてタポタポした感じが薄らいでいき、27日には、寝たきりになって以来すっかりお世話になっている近所のワン友Yさん、ラウルスママさんとお姉ちゃんがお見舞いに来てくれて、ギュスも体起こしてお出迎え、余裕をみせてくれていました。

この頃一番心配だったのが脱水症状でして、ギュスの状況&それまでの飲水習慣からして3リットル/日くらいは給水したいといわれていたものの、口から飲むのはかなり厳しくなっていて、スポーツドリンクを薄めたものを1.5~2リットル程度摂取してもらって、不足分を皮下点滴による輸液で補っていました。

が、すっかり骨と皮になってしまっていたことや、飲んでもちゃんと吸収できていないのでしょう、全身が常に軽い脱水症状を呈していたため、点滴の針を挿すために表皮を摘まんで引き上げても針の先を入れる空間が確保できなくてスムーズに輸液ができなかったり、なんとかスペースが見つかって輸液が落ち始めたと思ったら、今度は挿入した針と皮膚の間に隙間ができてるのか(皮膚に弾力がなくなってるから?)、いったん入った輸液が噴出してきてしまうことも多々ありました。

そんな話をしたら、獣医さんであるラウルスのお姉ちゃんが輸液をしてくださって、さすがです、すんなり500cc入り、乾き気味だった目や口の粘膜に潤いが戻ってきました。

お客さんたちを見送った後もわりと落ち着いていたものの、食べたり飲んだりは進まず、夕方、今度はママが輸液をしました。昼間500cc入れてもらってまだ潤いが残っていたからか、この時もすんなり針を挿せて、戻ることなく500cc入りました。もう1パック入れておこうか迷ったものの、ここは500ccで止めました。

脱水が幾分なりとも和らいで楽になったのか、この夜はまぁまぁ食べました。といってもササミ1本分とレバー1羽分のジャーキー、シュークリーム、クリームチーズでしたけど。水分も、夕飯から寝るまでに3~400cc摂れました。上出来です。^o^

で、寝る前にもう1回輸液した方がいいね~なんてパパと話したのですが、なんだか夕方入れた分が首から背中あたりの皮下に残っていて、ちっとも吸収されていないようだったので中止しました。

それからオーパパが朝晩の日課にしていた圧迫排尿をして、いつもどおりの量出して、ギュスも安心した表情で眠りに就きました。息遣いはやや浅くて速かったものの、苦しそうではありませんでした。

翌28日、全身状態には特に変化はなかったのですが、26日時点でほぼ塞がりかけていた肛門脇の傷口周辺がプヨプヨになって、一部亀裂が入って膿が滲み出しました。なんと、傷口が順調に塞がったのに、元凶(どこかは不明!)では引き続き膿がどんどん発生していて、出口を塞がれて行き場がなくなっちゃったみたいでした。

で、その後排便(=軟便)があり、処置してるうちに亀裂が広がっていっきに表皮が破け、せっかくキレイになりだしていた肛門周辺がずる剥けになってしまったのでした。orz

まぁね、それでもやることは変わりないのです。できる限り膿を出して、感染が起きないように褥創を消毒液で洗い流し、傷の表面は膿&漿液が次から次へと噴き出てくるので薬は塗れないため、ガーゼにたっぷりゲンタシン軟膏を塗り広げて傷の上から軽く押さえておきます。そして1~2時間おきに同じ処置とガーゼ交換を繰り返します。

なんか冷静に対応してるように書いてますけど、実はけっこうテンヤワンヤ、介護専門職のmimiさんにお知恵拝借したり、Yさんに泣き言メールしたり、かな~りお騒がせしつつのケアでした。^^;

それでも午後には膿の滲出がだいぶ減って、オードリーと30分ばかり散歩にも行ってこれました。

夕飯は前夜ほどではありませんでしたが、まだ一口二口ヨーグルトやゼリーなど口当たりの良い物を食べていましたし、排尿も特に変わりありませんでした。

29日は週末でオーパパがいたため、朝からかいがいしくお世話をしてくれて、ギュスも満足そうにしてました。で、昼過ぎに、2週間ぶりでかかりつけの先生が往診にみえました。

この時も、家族以外が家に入ってくるときのいつもながらのギュスのお迎え風景というか、ウォンウォンウォンと吠えながら体を起こして、リビングに入って来た先生を振り返りました。

触診・聴診の結果、画像でしか確認していなかった(消滅した)巨大シコリの跡がまた脹らみだしていたものの(=浮腫?)、右前肢の骨肉腫の原発部位は腫れも熱感もほとんどなく、全体的に脱水傾向ながらもまだ潤いがあるし、まったく食べれなくなったとしても水分補給がそこそこできていれば今いまどうこうではないでしょうとのことでした。

この時点では肛門周辺の膿の滲出も落ち着いていて、処置は上手くいってるからこのまま続けるように、後は、経口補水が難しいのであれば輸液を2~3パック/日入れるようにと指示されました。

が、針を挿すのが難しくなってきてる話をすると、ギュスであれば一度に1リットルくらいまで輸液しても大丈夫だろうから、針を挿したまま空になった点滴パック側のチューブを新しいモノに差し替えて続ければいいと。でもなかなか吸収されなくて、戻ってくることもあるというと、そしたらそこで針を抜けば大丈夫だからって。

手の届く範囲に必要なものを全部配置して処置してはいるけれど、挿入されてる針を押さえつつ、ぶら下がってる点滴パックのチューブを差し替えるって、けっこう大変なんですけどぉ~ブチブチブチ...みたいな。^^ゞ

いずれにせよ点滴パックの手持ちがなくなってしまったので、先生を送りついでに貰ってくることになりました。その車の中で、ママ、「この1週間程のギュスの呼吸の変化が、肺がんで亡くなった母の最後の1週間ととても似てるんですよ。犬と人だから同じということはないかもしれませんけど・・・」と云うと、「う~ん、顕著な痛みはなさそうですし、呼吸も安定してますよね。咳や痰もほとんど出ていないし、一時高かった熱も平熱ですし、かといって弱って熱が上がらないという状況まではいってないから、それほど切迫した感じではないんだけど・・・脱水が起きなければもう少し時間はあるかと」というお返事でした。

クリニックで、口腔ケア用の軟膏、点眼薬と眼軟膏、そして点滴パックにチューブをセットして頂いたものをもらって帰宅しました。

でもギュス、往診の先生にいいところ見せようと頑張っちゃったからか、この後とっても疲れたらしく、夕飯はお薬ゼリーを少し口にしただけで、スポーツドリンクもほとんど飲めませんでした。そこで輸液と思ったけど、相変わらず背中の側に水が溜まってる感じで、なんとか1本だけ入れました。

呼吸も特に変わりなかったけれど、「今晩はギュスと一緒に寝る」と、パパがシュラフで添い寝。ママとオーちゃんはしっかり2階の寝室で休みました。^^;

そして翌朝、リビングに降りて、ママどっきり。

ギュスの呼吸がとっても弱々しくて、なんかビビッと感じちゃいました。

2~3日前から、自力で体を起こせても姿勢を維持することはできなくて、水を飲むのに難儀していたのですが、この朝は、ホントのホントに頭をもたげることすら辛そうでした。

なのに、痰が頻繁に出るようになって、だけど脱水気味だからか、喉~口までなかなか上がってこなくて、時折 “カァァァーッ” っと苦しそうな息を吐くと口に痰が溢れてきます。そこですかさず頭を持ち上げてやって水飲みを口元に持っていくと、一生懸命水をすすって、入れ替わりに痰を吐きます。

人間だったらカテーテルで吸引してるところなんですけど・・・

そうこうしてたら7時過ぎに嘔吐。半透明のゼリー状の固形物を少々と、血の混じった透明な液体でした。12時間近く経ってるのに、昨夜口にしたゼリーが胃に残ってたの?なんてパパと一緒に吐しゃ物を解析しちゃうママでした(画像あるんですけど、さすがにね。T_T;)。

それにしても、息遣いがどんどん弱まって・・・

でもママが台所に立つと、体は起こせないので目だけで何か訴えてきます。

「大丈夫、ママいるから!」と話しかけて、ギュスの枕元にしゃがんで顔を近づけることしかできません。

この時、ママを見上げながらギュスが、「ママ、もうお別れなんだよ」っていってるように感じました。

パパが、嘔吐の件を一応かかりつけの先生に連絡しておいてというので、クリニックに電話をしました。その時、「今日は朝からとっても息遣いが弱々しくて、昨日までとは全然違うんです。なので輸液も必要なだけできないかもしれませんけど、もうギュスに任せようと思います」と伝えると、先生も了承してくださいました。

そこから、はたと思いついたというか、どうしても生きてるうちに会ってほしい人が浮かんで、連絡しました。一年前にやはり骨肉腫で逝った同胎兄弟シャルモンのママさんでした。

状況を伝えると、ほどなくママさんから、「今出ました!」ってLINEのメッセージ。

1時間半くらいでママさん到着。部屋に入ってきたら、ギュス、もう起き上がれなかったけど、それでもウォンウォンて迎えました。

顔を近づけてはいっぱい撫でて下さりながら1時間ほど一緒に過ごしてくれました。

ママさんが帰ったあとは、時折痰を吐きだして、呼吸もまた弱々しくなっていたものの、苦しげな様子はなくて、口をすすぐ程度に水を飲みながらウトウトしていたと思います。

でも夕方になって、眼球が酷く落ち込み、唇や歯茎が乾いてきたため、また脱水が進んでいるのだと分かりました。なのに背中のタポタポは相変わらずで、「輸液しても吸収できてないんだよね、意味ないよね」と話しつつ・・・ギュスがしきりに何か訴えるのが「喉が乾いた!」っていってるような気がして、点滴することを決断しました。

そしたら思いのほか上手く入って、パパというアシスタントもいたことから、続けて2パック目も落とし始めたところ、なんと全部入ったのでした。

しか~し、終わったら、背中に加えて、肩から首のあたりまでタポタポに水が溜まっていました。吸収されればいいけれど・・・

すると皮下に溜まった水に胃が押されでもしたかのように、2度に渡って嘔吐しました。出てきたのは血液混じりの大量の水。どうやら、朝以降、痰を吐き出すたびに口をすすぎながら飲み込んでいた水が全部胃に溜まっていたようです。

その直後、失禁してることに気付きました。7時半過ぎくらいだったかな。圧迫排尿を受け入れてからは一度も失禁(垂れ流し?)したことはなかったのでちょっとびっくり。キレイにしてしばらくしたら、1時間ちょっとで再度失禁。

パパがまた始末してキレイに拭いてやりながら、「膀胱にまだかなり溜まってるみたいだから圧迫してやろうかな」と。

10時少し前に普段どおりの圧迫排尿を始めたら、2度の失禁にもかかわらず、どんどん出てきて、ママもチッコに気をとられていました。

その時パパが、「ギュス息してないんじゃない?」って。ママ、視線を下腹部から胸部に移すと、胸の上下する動きが止まっていました。口元に近付いて確認しました。えぇ、間違いなく呼吸は止まっていました。

2016年10月30日22時01分、ギュスターヴ永眠です。

9月15日の外出を最後に、19日から寝たきりになって42日目でした。

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以下に、10月31日、フェイスブックに投稿した一文を貼ります。ギュスが息を引き取った直後の昂ぶった気持ちのままに綴った短文ですが、その時の気持ちを一番よく伝えられると思うので。

<昨夜22時01分、ギュスターヴが旅立ちました。静かに静かに。一時は安楽死も考えなきゃならない状況をも覚悟していた事を考えれば、無事見送れてホッとしたという気持ちです。

食べる量がどんどん減っていたのに10月19日から二日に1回便通があり、全く食べなくなってからもちゃんちゃんと出て、昨日の朝もしっかり出し、なんと、オーパパが圧迫排尿してる最中に「あれ、息してないんじゃない?」と言われて気付いたという次第でした。気配すら感じさせない穏やかな最期でした。ギュスなりに10日くらいかけて旅支度を整え、体を空っぽにして、週末パパにお世話する時間をたっぷりあげて、でも月曜の出勤には支障がないように、夜10時という絶妙のタイミングで、そ~~~っと去っていきました。出来すぎです!

骨肉腫自体の痛みは3回目の放射線治療後最後までぶり返すことなく、最初に骨肉腫と宣告されてから10ヶ月と1週間、皆々様の励ましをいっぱい頂戴して、ギュスの思い通りの締め括り方で旅立てました事、飼い主は嬉しく思っております。長きに渡って見守ってくださった皆様、本当にありがとうございました。>

2015年12月初頭、オードリーのGISTが落着しつつある中、ギュスの立ち姿、とりわけ右前肢の力の入り方に違和感を覚えつつも、頭のシコリの巨大化~切除に続き背中のシコリも巨大化して、その病理検査の結果を待っていたのでした。

そうこうするうち20日の日曜にパパが散歩に連れ出した際、膝を折るようにガクッとバランスを崩したことから、「明日、即、レントゲン撮ってこい!」と。それまではいつも「少し様子見よう」というスタンスのオーパパでしたが、母犬が骨肉腫だったこと、前の月にシャルモンも骨肉腫で逝ってることから、一も二も無く “骨肉腫” を疑っての事でした。

そして結果はビンゴ!

病理検査するまでもなく、骨肉腫で間違いないだろうって。

そこからの経緯については書き綴ってきたので、繰り返すつもりはありません。

告知から10ヶ月と1週間、ギュスは旅立っていきました。

最後の最後、まったく苦しまなかったとは言い切れないけれど、少なくとも、筆舌に尽くしがたいといわれている骨肉腫の痛みはありませんでした。用意していた麻薬パッチも使うことなく、それどころか、寝たきりになってからは内服の鎮痛剤すら必要ありませんでした。

濃縮酸素を供給したといっても、箱で囲ったりマスクをあてるほどの呼吸困難に陥る事もありませんでした。

両後肢が麻痺して立てなくなってしまったことは想定外といえば想定外でしたけれど、そのお陰で骨肉腫による病的骨折を免れたのかもしれません。もし折れていたら放射線の疼痛緩和治療も受けられなかった(受けても骨折の痛みは取ってやれないから!)ことを思えば、災い転じてなんとやら?

もっと遡れば、夏前に後肢がふらつき始めたとき、パラディアの副作用の可能性を疑って休薬、いったん回復したのに、また麻痺が起きて、最終的には副作用だったかどうか解明できなかったわけで、休薬直後から体調が落ちていったことを考えると、休薬していなければもう少し時間を延ばせたのかもしれません。

でも骨肉腫というのは、『積極的治療をしなければ余命100日、断脚すれば200日、断脚して抗がん剤治療しても300日』なのだとか。

そんな中、告知から300日以上生きて、亡くなる45日前までは毎日散歩に出かけ、寝たきりになっても最後の数日以外は我が侭放題好きなモノを好きなだけ食べて、最後は気配すら感じさせない静かな臨終だったことを思えば、これ以上の締めくくり方を望むことはできませんよね。

断脚していたらきっと違った経過を辿ったことでしょう。

どっちが良かったのかと考えても始まりません。

でも、原発部位を残したことと早くからパラディアを使ったことで、転移の進行はかなり緩めることができたと思われます。そして、放射線による疼痛緩和治療が予想だにしない効果が出て、しかも効き目が持続してくれたお陰で、最後まで骨肉腫本来(?)の痛みは経験せずに済んだといえるでしょう。治療については、出来る限りの事は尽くしました。

苦痛の全てを除いてやることは出来なかったし、ギュスが全く苦しまなかった訳もありません。そして、最後の最後まで本当に頑張ったんだと思います。しかし、決して無理して頑張ったとは思いません。ギュスはそういうヤツなんです。無理はしないんです。だから、静かに、静かに、去っていったこと、ママはちゃんと納得しています。

さよなら、ギュスターヴ。

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長いですねぇ~^^;

ここからは見送るまでの間の写真を貼ります。

<亡くなった日の昼間=生前の最後の画像>
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<息を引き取った1時間後くらい>
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<翌朝>
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<近寄ろうとしないオードリー>
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亡くなったのが日曜の晩だったため、話し合った結果、オーパパが休みの11月3日にお見送りすることになり、だったら、ギュスの骨肉腫はだいぶ稀な経緯を辿ったようなので、今後の獣医療の一助になればと、病理解剖を申し出ました。

大学病院に申し出れば詳細なデータを収拾してくれるかもしれません。でもここは最後まで診て下さったかかりつけの先生に話をもって行くのが筋だろうということで、11月1日、かかりつけのクリニックでメスを入れることになりました。

個人のクリニックですから、やはり大掛かりなことはできず、病理解剖というよりは組織採取程度で終わってしまいましたけど、肺転移の状況を見るための肺葉摘出と、全貌が全くつかめなかった脇~胸の腫れの原因究明を目指して脇のリンパ節採取をしました。

詳細はうかがっていませんが、肺転移は思いのほか進んでいなかったそうです。

そして、胸水が3リットル近く溜まっていた事から、脇~胸の腫れはリンパ節転移した腫瘍が原因の浮腫だったのではないかと。

また、25日にいったんシコリ(と浮腫)が消失した事態についても、推測の域ではあるけれど、通常外に向かって腫瘍が肥大・崩壊して皮膚が破けるところを、何らかの理由で内側に崩壊して、腫瘍を取り囲んでいた貯留液とともに骨肉腫のがん細胞を多数含む組織がお腹のほうに流れた可能性があるとのことでした。

<メスを入れる前>
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なんと、オーパパ休みをとって解剖に立ち会いまして、ママとオードリーはその間のんびりお散歩。

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<11月3日、お別れ当日の朝>
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今更何を飾ったところで意味はないよね~でもギュスの生きた証だからと、証書やリボンを引っ張り出して、家での最後の記念撮影をしました。

<オーちゃん、神妙な顔付きで観察中>
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遺体を安置していたため、暖房最小限にして、窓も開け放っていたからか(この時期、とっても寒かったんです!)、冷えからオードリーがなんとな~く不調になって、シコリが弾けて膿の手当て。

実は、亡くなった直後は何も流出しなかったギュス、時間が経つにつれ肛門周辺と鼻腔から膿&漿液が出始めて、それが一向に止まらなかったので、朝晩手当てしてまして、ママ、なんだか膿の処置のエキスパートになりそうでしたよ。=.=;

さて、いよいよ斎場のスタッフの方がお迎えにみえて納棺です。生前のギュスの体格を伝えたら、もしかすると棺に納まらないかもしれないといわれていたため心配でしたが、亡くなった直後に始まった硬直、何日かたつとまた解けてくるのだとか!お陰で、ちょっと窮屈そうでしたが、無事納まりました。

<一緒に持たせようと選んだ品々>
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いつも一緒だよ~って引き止めるようで悩んだけど、やっぱり家族一緒の写真、最後の最後までお気に入りだったkiriのクリチ、自家製ジャーキー、シュークリーム、そしてゲンタシン! あ、ダンベルは大きすぎると却下されました。orz

ギュスが乗った斎場の車に着いて、ママの運転で追いかけました。

市内のペット専用斎場までは20分くらいでした。

“単独立会い葬” というスタイルでお願いしたのですが、知り合いが参列するからと、炉にくべる前にお焼香ができるオプションを選択していたら、なんと、人間並みのお別れ式で送ってくれました。(下世話な話になりますが、料金は+千円のみ!)

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スタッフの方が般若心経を唱えて下さる中、お焼香をしたあと、ギュスに持たせる品々とお花を参列者全員で棺に収めました。

<同胎のローザがお別れに来てくれました>
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<オードリーもこの時ばかりは近寄ってお別れ?>
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「ありがとう、ギュス。楽しかったよ!」
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いよいよお別れです。

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14時過ぎ、参列者全員に見守られながら、ギュスはお空に昇っていきました。

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戻ってくるのを待つ間、ローザのパパ&ママと、いっぱい、いっぱい、思い出に浸りましたが、ローザとオードリーは飲めや歌えの賑やかなお見送りが一番とばかり、もりもり食べて居りました。ギュスも喜んでくれたことでしょう。!(^^)!

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3時間くらいかかって戻ってきたギュスは、ずいぶんこじんまりしていました。拾骨のときにスタッフの方がなんだか歯切れの悪い口調だったので骨肉腫だったことを伝えると、「あ~やはり骨のご病気でしたか。形が残っているものが少なくて・・・」と、そこからは部位ごとに詳しく説明してくださいました。

超大型犬の場合、一番大きな骨壷でも収納しきれないことがあるそうですが、ギュスは1/3くらいのスペースを残して体部分は全て収まり、最後に頭蓋骨と喉仏を乗せて、蓋を閉めました。

万事終わったのでした。

<帰宅直後>
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オーママ、天国とか、彼岸とか、虹の橋を渡って・・・とかいう概念は持ち合わせていないんですけど、輪廻転生ということは心のどこかで「あるかも~」と思っていて、ギュスといつかどこかで再会するかもしれない、なんて気がします。お互いそうとは知らないまま、もしや今のは・・・みたいに。

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生前ほとんど毎日スキンケアで使っていた櫛、送り出すその日にも梳いてやって、そのままずっと洗えずにいたのですが、今日洗いました。大切な思い出の品です。

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続を読む。。


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